病人と脳汁を交わそう

脳の病気が見つかった人が書いてます。

点のような幸せを糧に障害と生きる

障害者の壁を乗り越えようと頑張ったり、いっそ堕ちるとこまで堕ちてしまえと思ったり。
そんなアップダウンの中で、自分が得られる幸せって何だろうと考えていました。
今回のテーマは、障害者と幸せについてです。

 

ハッピーエンドが苦手で

わたしは、盛大なハッピーエンドで締め括られる物語が好きになれません。
「一難去ってまた一難」ということわざがあるように、不幸から逃げ続けることは困難だからです。

それ故に、大袈裟なハッピーエンドを見せられてしまうと、幸せの儚さを否定されたような気持ちになります。

物語の主人公が障害者であるわたしで、ハッピーエンドを目指すのなら、ただただ楽観的に生きるしかないじゃないか。
そもそもこっちは自力でセロトニンの調整もできない病気なんだ。
といったように、少し苛立ちさえ感じます。

 

幸せは線のようには続かない

角田光代さんの「笹の舟で海をわたる」という小説にこんな言葉があります。

「今が幸せそうに見えても、そんなものは日常の雑踏に紛れてしまう。幸せは点のようなものだと左織は考える。線のようには続かない。あらわれてはすぐに見えなくなる。」

いわゆる普通の主婦である主人公の左織も、幸せをこんな風に思っていました。
何もわたしだけじゃないんだなと、思い出す度に安堵する言葉です。

 

点のような幸せは受け入れて

わたしと同じように障害を抱えている方は、いろんな幸せの形を諦めていると思います。
結婚して子供産むとか、就職して安定した暮らしを手に入れるとか。
そんなの簡単にできるなら、障害と言わないもんね。

けれど卑屈になり過ぎず、点のような幸せは受け入れていきたいです。

今日は青空がきれいだな。
二日目のカレーが美味いな。
推しのようつべが更新されたな。

なんてちょっと呑気になって、日々幸せの点を見つけています。

自分の人生は、ハッピーエンドにもバッドエンドにもならない。
そして、幸せは線にしなくても大丈夫。

 

PS.

こいつ障害者なのに随分と呑気だなって思われるのはイヤ。
でも同時にちょっとくらい呑気にさせてよと思ってます。
障害者は考えるのも飽きるぐらい、将来に不安しかない。