心の病という言い方に引っかかる
よく精神科の病気は「心の病」といった比喩表現が使われます。
当事者としてこの表現に引っかかっていたので、今回はわたしが「心ではなく脳の病気というワケ」について書きました。
精神科医ではないのであくまでも個人の意見になりますが、少しでも精神疾患の誤解が解ければうれしいです。
心ではなく脳の病気というワケ
わたしは精神疾患について語るときに、心ではなく脳の病気と言っています。
その理由は、大きく次の3つです。
- 脳は臓器だけど、心は概念的
- 心が弱い人が精神疾患になると思われてしまう
- 心の持ちようで治ると思われてしまう
まず1つ目の「脳は臓器だけど、心は概念的」というのは、心は人によって定義が大きく異なると思っています。
あやふやな定義の言葉を病気に使ってしまうと、人によって解釈がバラバラになるのも無理ありません……
なので、わたしは脳の病気という言い方をしています。
脳は臓器だから「心が弱い人が精神疾患になると思われてしまう」や「心の持ちようで治ると思われてしまう」などの誤解が生まれにくいのでは?
心が弱いというか脳のエラー
心が弱いから精神疾患になるんだと思われてる方も多いでしょうが、心の強さというのもまた概念的な話になってしまいます。
どちらかというと、精神疾患には脳のエラーという表現が近いのではないでしょうか?
わたし自身、今まで自分に喝を入れて頑張ってきたのに心が弱いという印象を持たれるのは、正直喜ばしくありません。
遺伝や環境によって発症しているのであり、早く寛解するためにも自己責任論は減らしていきたいと思っています。
治らないと受け入れるのが第一歩
これは批判もあるかもしれませんが、わたしは治らないと受け入れるのが障害受容の第一歩だと考えています。
精神疾患というのは再発率が高く、結局のところ死ぬまで再発しないかどうかなんて分かりません。
なら治らないから、ちゃんと一生薬を飲み続けようとか、認知行動療法を定期的にしようとか、決める方が気持ちがラクだと思います。
そして結果的に病状をよくするという作戦です。
だから、実際は心の持ちようより、諦めの方が本人にとって大事だったりします。
周りに精神障害の方がいらしたら、心の持ちようで治せとか言わないであげてくださいね。
PS.
最近のわたしは体力的は微妙なのですが、気分的は回復期に入っているという実感があります。
ちょっとよくなったり、ちょっと悪くなったりを繰り返していて、焦ったい。
毎日の体調って株の折れ線グラフのよう。